真昼の淡い微熱

感想ブログ

FAKE/監督:森達也

よかった!よかった!
もーう すごい森達也!!って感じ。これを期待していた。期待通りすぎた。
佐村河内問題、「なんか盲目だったか聾だったかの人がなんかゴーストライターで……」みたいな知識しか持ってなくて見始めたときあれっ待って知ってる前提で進むのかしらと焦ったけど見てけばわかってほっ。
森さんの『A』まわりの作品見て読んでたとき「あああの時代のオウム事件に対する世間の目をまず体感できていたらなあ」と思うことはたびたびあったけど、結局のところ私は疎い……まあ今回のは元々ゴシップに近づきたくないというのがあったけど。
今回も佐村河内さんに対してなにかしらを思ったことがない、いやでも「ゴーストライター雇って自身の障害を利用し付加価値つけて世間を欺いた」くらいの知識は当時耳に入れていたなあくらいの。



私は作品の演出を読み取るのが好きなので見ている最中にあーこれはこういう意図でこうしたんだなって意識無意識に思うことはよくあるけど、これ見てる最中は頭の中で森達也が「僕はこの素材をここに挟みたかった」「どうしてもこれを引き出したかったのだ」みたいなことをずっと喋ってた。私にとっては森さんは字の人なんだな。
他の作品ならば監督が観客の頭に居座るほど表に出てくるなんて失敗と言っても過言じゃないけど森さんはこれが狙いでしょうと。
だってエンドロールで初めに流れてくるスタッフが「撮影」と「編集」だよ?!ふつう裏方も裏方で裏方に徹しなきゃならないじゃないですか。
でも私は監督の狙い通り撮影が何人いたのか気になっていたので……監督と専門?カメラマン二人でしたね。
テレビかなにかの取材でそこのスタッフが「なんかいつも撮る側なので撮られるって緊張しますねー」って口走ってていい台詞録ったな!って思った、森さんが「期待通りだ」って心の内でほくそ笑んだ姿が浮かんだ。


そういうカメラという異物 ドキュメンタリーとは編集であるってことですね監督……。
フジテレビの出演依頼で、顔も名前も責任者だってことも明かしながら「けしていじったりしないですから!」って丁寧に説明するスタッフの声を背景に猫を撮すこのカット!最高!FAKE!
猫という素材もいけると踏んだとき嬉しかったろうな~。
フジテレビの人これを撮ってるカメラマンの意図不明だったろうなー映画になると一発で、ね……。
でも正直メディアの人がここまでひどいと思わなかったというか思いたくなかったよ……。こんな「普通の人」で、顔も名前も晒してカメラに撮られてると意識しながら「絶対いじりませんから」って誠意ありそうな説明をして、それであれかよ……。
バラエティー番組ほとんど見ないからあんなグロいことやってるの初めて見て面くらった。佐村河内さんバッシングどころか難聴者全般差別……テレビが差別に満ち満ちていることくらいは知ってたけども……。
企画説明書もすごいですね。「バッシングを笑い飛ばし」って勝手に佐村河内像を作ってるの。こええ。
本人が出演依頼を受け入れていればましになっていたという森氏の説明。何故なら出演者をどう料理するかコンテンツ化しているから。


映画冒頭「今からカメラ入れます」で導入し、エンドロール後に「いいシーンが撮れました」を挟む。
繰り返されるこの「ドキュメンタリーは作り物だよ!」って訴えでなにが浮かび上がるかってふたつあって、ひとつは我々大衆のゲスさなんですよ……。

最初に「新垣に取材を依頼したが断られた」と画面説明があったとき、瞬間、私「後ろ暗いところがあるからなのかな」って思ってしまったのよ。
そして直後、新垣さんの声を知りもしないのに話を作っていたことに気づいて情けなくなった。それを指摘された。
新垣さんのサイン会で直接会って「あー森さんでしたか! 僕も一度お話したいと思ってたんですよ!」と交流し(戸惑いはちらと見えた、かもしれない)、並んで動画を撮り握手して、「今度正式に取材申し込みます」、のち。
「取材は新垣の事務所から断られた」。これ完全作為的文字列だよね……事務所から……。

もうひとつは、少なくとも森監督のドキュメンタリーとは信頼なんだなあってこと。
撮影期間が進むにつれて、佐村河内さんがだんだん心を開いていく様子が見て取れる。
最初は頑なに「ひどい嘘をメディアに流された」と怒っていた佐村河内さん、つまり、自分をわかってほしいのに全く聞き入れてもらえない「悲しみ」。
それで、徐々に打ち解け、別のマスコミの人が帰ったあと「あー疲れた、森さん煙草吸いましょう」ですよ。森さん側の、つまり別のメディアの人間のカメラに向かって。
それでも「森さんは私が聞こえないって信じてくれてるんですか」と問い、「信じなきゃ撮ってませんよ」と熱い言葉に感動したにもかかわらずそのあと森さんが「心中ですよ笑」と付け足したとき「え、なに?(かおりさんに向かって翻訳してと頼む)笑われると怖いんですよ」と不信感も吐露。
すごいよね……400人いた友達が一瞬で掻き消え……佐村河内さんの父親もこの人だけはという親友すら離れていったとか……。
そして最終的には
森「僕のこと何%くらい信じてます?」
佐「全部です」
これらが撮影順だったかどうかは知らないけれど。

煙草もメタファですもんね。
「映画作り終えるまで煙草やめます」って宣言したときあれ「あーこの台詞演出として使う魂胆で出てきたんだな」って思ったもの。なんだっけ、別のドキュメンタリー取材で煙草の小道具化について語ってたような。
信頼関係づくりとしての煙草、そして、信頼関係からくる禁煙宣言。
驚く猫。かわいい。

かおりさん、初めはきょうだい?妻?サポーター?介助者?って関係性不明だったけど、どうやら妻らしいと。専業主婦なのかな? 生活は貯金からなのか。
右手にはめた指輪。
ずっと、横で甲斐甲斐しく通訳して、取材陣をケーキでもてなして。
本当になんでもないという顔をして淡々と雑事をこなしてるんだけど、終盤明かされる、週刊紙から発覚した当時の話。
「離婚は当たり前だと思ってた。佐村河内という姓から切り離すべきだと……」
うわっ……。そっかその氏そっか……と思って……。その後の会話、質問、返答にこの夫婦の間にどれほどの……どれほどの愛があるのかと……。かおりさん知らなかったのか……。
ラストの指輪もそりゃ光る……。


ラスト、作曲している佐村河内さんをひたすら無言で撮しつづける、つまり、観客に映画の消化をさせるパート。曲、ここまで作れるものなんだねえ……。
私はひたすら「森さんに信じてもらえてよかったなあ」と思っていた。思っていたよ。
オウムもずっと世間に対して風評被害を訴えていて、しかし彼らの属する団体は取り返しのつかないことをやらかしているからね……分が悪すぎるし団体としての責任も理解していたのかという。
そしてそれを森さんは肯定も否定もせずにただ眺めていた。
今回の問題は、それよりと随分軽いからね、「信じなきゃ撮れない」と言うよって。
でも白黒つけない、もといつけられないから、「いくら共作と主張しても新垣氏が自分の手柄だと言いたくなる余地があったのでは?」という米雑誌の見解も入れる。
この、はっきりしない曖昧なニュアンスこそ、取り出してくれると思っていたよ。期待通り。
そして締めくくる「FAKE」の質問。


この映画が渋谷を拠点に公開されたの、作為はなくとも、面白いなと思った。
渋谷あちこちカメラ回ってるからね。機材持ってうろついてる人インタビュー受けている人写真を撮っている人。今日特に多かったような?

聾者かつ聾サポーター?である前川さんという方が出てきて、その方がマスコミの難聴誤解についてブログで語っているらしいと映画内で言ってたので検索してみたらあった。
感音性難聴の認識について

あとこの記事面白かった。
新垣隆の売名が酷過ぎる
映画見ててじゃあどういうことでどういう流れがあってどうしてゴーストライター雇ったりしたの?って湧いた疑問に答える記事。
森さんが撮りたいのはそこではないからね。オウム問題のときもそれで他の文献調べようと思ったんだった……。
まあこれも前川さんの切り抜いた言葉ではある、そういうことを映画は言いたかったんでしょうけど。米雑誌の取材で「なぜ騙してた?」という質問に「痛い核心を突かれたなあ」と笑う佐村河内さん。答えはカットされ。


しかし日本語字幕バージョン流さないのかなあ……。