真昼の淡い微熱

感想ブログ

俺たちのBL論/サンキュータツオ/春日太一

基本的には期待通り面白かった。
関係性のバリエーション、楽しみ方のバリエーション、余白の楽しみ、「かわいい」の考察。

「恋愛による醜さのCG回収がしたい」には膝を打った。
私はみじめったらしさをさらけ出す男が見たいからBLにそれを求めに行く。男女ではあまり見れない。

「リバ不可」は関係性が好きで「リバ可」は絆が好き、というのも得心。
ふたりがふたりであればそこに拘りはないという。
それでいうと私はリバに拘りがめちゃくちゃあるので私の「精神的不均衡を積極的にひっくり返すリバ」「受け×受け」嗜好は関係性萌えなんだよな。

「男は丈夫だから安心」理論、めちゃくちゃよくわかる。
言葉責めって萌えと萎えが紙一重で、お前何様だよって思うことがしょっちゅうあるんですけど、受けが男なら許せる範囲萌える範囲が広がる。
逆に女体化すると許せる範囲狭まる。
そのへん「二次元において「性」は属性」というポイントにも通ずるな。
それと同じ理論で私は女同士なら傷つけあっても安心だと思っていて、相手を絶望に突き落とす百合が好きなのもそのへんにあるんだろうな。

春日さんが『窮鼠』『俎上』を正しく理解していたのが嬉しかった。
そう!「川を易々越えた恭一が怖くなって線を引いた今ヶ瀬」が『窮鼠』シリーズの本質。最後の最後に川を渡りきるんではなく、川なんてないよって明示するのが恭一。

あと春日さんはアンセクシャルの概念を知ったらちょっと楽になるんじゃないですかね……。



そんでもやもやしたところ。

一番言っちゃいかんだろうと思ったのは「女性はこういうふうに攻められたい」って部分かな。「あくまで一部」ってことにしてはいたけど。
男性向けと比較してそういうのが絶対に全くないとは言わないがBLだって大概ファンタジーだよ。
もし作家さんの(ひいては女性の)「こうされたい」を反映しているのならフェラシーンとかどう見るんだよ……って話。
それを「男がBLを読む際のススメ」にするのはやめて。女性エロ作家が「あなたはこうされたいんですね」って言われることでどれほど消耗するとお思いか。


あと春日さんと百合観がまったく違うのでよし戦争しよ。
ガラスみたいな百合も百合の一側面ではあるけれどもすべてではないから直接的なエロがあってはダメとか断言しないでくれ~。
それと今そういう壊れてしまいそうな百合がメインストリームかと言われたら首を傾げるぞ。
あとよくある誤解の「百合は男性向け」っていうのもな。それAVの見すぎや。

そして「恋愛」といいがたい感情や関係に萌えを見いだすBL好きが沢山いるんだから(「恋愛」に限定されてしまうような気がして嫌だから「BL」という語句を使わない人も沢山いるんだから)「恋バナ好きはBL好きになれる」とまとめるのは雑でないかと思う。




タツオさんは無邪気に差別をする方ですけども、ホモフォビアはほとんどない。同性愛への偏見は極力なくそうとしてる。
それがたとえば「同性愛を非日常的なことだと思う読者」という行き届いた言葉づかいに表れる。同性愛は本来日常的であるけども、という。
あるのは女性への偏見なんですよね。「一般論です」という前置きをしていながらその実ステレオタイプを垂れ流す。

一番雑だと思った分析は「男はいろんな関係性がある」けど「女は好きか嫌いかの二分法で生きていかざるをえな」くて、だから腐女子は「友情って言われても私たちの感情にない」がゆえにわかりやすい「恋愛関係」に落とし込む、って話かな。

男女も女同士もいろんな関係性があります、女だって(一般論にしても)好きか嫌いかの単純な構造で生きてたりしません複雑な友情やらライバル関係やらを持ちます。
わからないからわかるものとして理解しているんじゃなくて、わかっていようといまいと恋愛にすると楽しい化学反応が得られるからしてるんだ本書でもそう分析されているじゃないか。
動画(39:11あたり)に照らし合わせてみてだいぶ編集で気配りしたんだな……とは思ったけど根本的なところがなんだかな。


BLが好きだって思ったのならそれは最終的に性別関係なく誰でも同じ感情を共有できるんだから「男と女とで解釈プロセスが違う」と思うほうが間違いなのよ。
確かに最初の障壁は違うかもしれないしその手助けとしての本書は有用だと思うけど、その後たとえ違う見方をしてもそれを無理やり「男だから」「女だから」に当てはめるからおかしなことになる。
自分が感じたことを拡張していく形で論を組み立てていけばいいのに型に当てはめた「女性」像から導いていこうとするからその偏見まみれの「女性」像に反発を食らうんでしょう。
「極力一般化しないことを心がけた」とタツオさんは言ったけど残念ながらその試みは失敗していると思う。


腐女子」は本来、腐女子本人が使うべき用語であって、外部の人がその人をさして呼ぶべき言葉ではないような気がするのと同様、ここ数年、常に外部の者としての疎外感を感じながらも、自分なりの萌えを追求してきました。なぜ自分はBLややおいに萌えるのか。答えのでない問いでした。 サンキュータツオ2/12-16渋谷らくご (@39tatsuo)
https://twitter.com/39tatsuo/status/690201378434625536
しかしひとつハッキリしているのは、この疎外感というのは、ふた昔前は「オタク」総体が、一昔前は「腐女子」総体が経験していた、疎外感、そして後ろめたさだったということ。私はいわゆる「腐男子」なのかはわかりませんが、BLはコンプレックスと後ろめたさを忘れちゃいけないなと思ってます。 サンキュータツオ2/12-16渋谷らくご (@39tatsuo)
https://twitter.com/39tatsuo/status/690201881298112513

(このブログスキンtwitter埋め込みできないらしい)

「BLは後ろめたさとコンプレックスを忘れちゃいけない」発言、タツオさん本人が真意を説明しないので推測するしかないんだけど「自分は男でBL市場の主要層ではないからBLや腐女子と繊細に接さねばならない」でいいんですかね。
数年タツオさんのBLに対するスタンスを追ってきて本書も読んでみてやっとそう読み解けるけど、もしこれで合っているならやはり言葉の扱い方が雑としか言いようがない。

文脈を読んでと言われて読もうとしてもすごく読みづらい。
まず「BLは」が主語になっている時点で個人的なことには相成れず一般化するニュアンスにしかならない。
そのため既に存在する偏見を助長する発言になってるから駄目だって言ってる。
タツオさんはBLをよく知らない人に伝えることのできる立場にいる人だから、そういうふうに伝わってしまいたくない、そういう話。

そんでこの解釈で合ってるとしても、やはりそんな後ろめたさは忘れてくれていいと思う。ていうか忘れてくれ。
同じ趣味なのに変に「男と女の立場は違う」と思い込んでしまうと事を見誤る。
思い込んでないのに疎外感があるっていうならじゃあその垣根をはらっていきましょうね、という話でいい。



あ、あと、全編とおして敷居高くしてない??
クリエイティブさを極めてこそ腐女子として上級者であるみたいな論調。
今でこそ最後のケーススタディシートだってやってみれるけど昔妄想力低いことがささやかなコンプレックスで私は腐女子文化にコミットできないなと思ってたからちょっと危機感。
BLに目覚めたい男性に向かっているんだから敷居は低くしてこ。

あっケーススタディシートやってみて気づいたのは私今まで攻めには余裕を失ってほしい余裕ある攻め萌えないと思ってたけど受けも同様に余裕ないほどおいしいですね!!
包容力高いのは攻めも受けもあまり好きではないらしい。