真昼の淡い微熱

感想ブログ

リーガル・ハイ

二期まで見た。
単話単話が面白かった。

マチュア曲盗作、子役と母親、起業家が漫画家を名誉毀損訴訟、の話が好き。
安藤希和も。

しかしテーマに賛同できんかった。
世の綺麗事へのアンチテーゼというテーマ。
一期の構造は次から次へと現る強敵を倒せるか。
二期の構造はテーマが顕著で、競争原理VS.みんながしあわせ。
新自由主義の市場競争主義者が古美門。


正直古美門研介の長回し決めゼリフは全然響かなくて、脚本の中でそこだけ浮いているのだが、堺雅人が調和させきってしまうからなんとなく説得力が生まれるトリックスター
堺雅人をいかに魅せるかが基調のドラマであるから、古美門のキャラへの整合性は二の次になる。多少ブレても堺雅人がすごすぎるからそれでいい。

一期ラストの公害訴訟で村人を奮い立たせる「戦え」メッセージは、競争原理に生きている古美門研介からこそ出てくる言葉だが、二期ラストの「醜さを愛せ」はまじで堺雅人じゃなかったら白けてるな。
この二期のニヒリズムVS.綺麗事という対立構造、この問いの立て方に疑問があるので。
綺麗事には確かに醜悪から目を逸らさない胆力が必要とされるから、古美門の言葉は一面的には事実である。
しかし古美門は、本人の生き方としてはもうしようがないから措いておくにしても、おまえはその破滅思想を愛せるほど自己をコントロールできていないだろう。
たったひとつの正義などないのだからエゴに走ろうという、まあ10年代の流行ね。
(この"エゴ"は本作のようにニヒリスティックに用いられることもあるけど、善の執行の根拠としても頻出であり、要するに正義などないのだから各々の善に従えと投げ渡される)


なんというかこの「醜さを愛せ」はずるいんだよ。
だって対抗馬が弱すぎるんだもん。綺麗事を馬鹿にしてるのがありあり伝わってくる、馬鹿にしてるから薄っぺらな綺麗事しか描けない。
"win-win"、対抗馬として設定されたわりに羽生の意図どおりwin-winになったの全10回中たった2回。
その2回もあまりにファンタジックな急転直下。
ご近所トラブルも社内著作権トラブルも、裁判でまで争っておいて仲良くなるなんて無理でしょ。「それがありうる」こととして描けてない。
単話としては面白いんだよ。シーソーみたいに最後までギッタンバッタンやってどっちへ傾くかわからないスリルがあるから。
ただ通しでみると作品は綺麗事へのアンチテーゼの権化でしかないから、世界観を好きにはなれない。
「綺麗事」に対してあまりにも不誠実、あまりにも不均衡。


ポリアモリー全肯定話の次にアニメ業界パワハラ全肯定話やったのが実に象徴的だよね。
ポリアモリーは「個人尊重」でいわゆる「先進的」。
パワハラは「個人軽視」で「伝統的」あるいは「前時代的」。
まるで正反対なのにアンチ綺麗事の一点で共通している。
綺麗事が世に氾濫していると思っていられる世界観、世の中平和ボケのお花畑ばっかりだと斜に構えていられるおまえの脳みそがいちばんお花畑だよ、のパターン。

少なくともパワハラ被害やストーカー被害の深刻さを知らない人しかアンチベタをやれないよね。
(ストーカー話はこれもベタをずらそうとしてるけど実はドベタなストーカー加害者の脳内物語を肯定する危険思想である)


酷評したけど単話は素直に面白く、ふたりの関係性はよく、ガッキーがめちゃかわなのでよかった。
古美門の、黛への最悪パワハラセクハラ恐喝職業倫理違反等々は一歩間違えば目も当てられなかったろうが、そこはキャラの魅力でなんとかなってたから「古美門研介」はあまりにもおいしい。さすが。
そのくらいの繊細さとカバー力がドラマ全体にわたって必要でしたよね。