真昼の淡い微熱

感想ブログ

戦争と性暴力の比較史へ向けて

要約ではなく印象に残ったとこのメモ。

エイジェンシー:
構造を免責しない主体性。
すべては構造化され普遍的なパターンに当てはめられる構造主義のあとに差異、主体に注目したポスト構造主義の用語。
本人の主体はある。だが主体は構造のもとにしか現れない。だが主体はある。


第4章 兵士と男性性
南京事件での戦争犯罪多発を受けて、兵士たちを戦場に留め置こうと「慰安所」が作られた。そこにレイプ性欲起源説が見える。
慰安所」利用順も階級順で初年兵は利用できなかったこと、空襲や訓練の過労とストレスで性欲などわかぬ・命の危機が去って初めて勃起できると兵の間でも共有されたことなどから、性欲のはけ口として「慰安所」を必要とする論理は成立しない。
ただ、「慰安所」利用が「男になること」とされ、死期が近いと予感し「男である以上、女を知ってから死にたい」という兵の思いや、「義兄弟」となる男同士の絆を深めるために「慰安所」は必要とされた。
慰安所」へ行かなかった者は上官から弱虫・腰抜けとそしられビンタされた。

ごく一部「慰安所」を利用しなかった兵もおり、たいてい「不潔」「己の貞操を汚されたくない」を理由としたが、ごくごくごく一部「看護師、挺身隊と騙されて来た彼女らの話を聞き、他の者は彼女らを金儲けに来たくらいにしか理解していないが、慰安所は一部の女性がいかに軽視されていたかを物語る所」と振り返り、為政者の責任を問うた兵もいた。

「自由を束縛された兵隊の私が外出という自由を与えられ、私達よりも更に不自由で屈辱の連続の女性に、欲望をとげるため接するということは、なんという皮肉なコントラストか」「人間性を奪われた兵隊どもによって、彼女らの人間性も踏みにじられ、奪われた」「いけにえにされる恨み」に思いを馳せる者もいた。

日本人「慰安婦」は主として将校を相手にすることになっていた。「支那姑娘」「(日本)内地人」「朝鮮人」のうち「朝鮮人」女性が一番献身的であったと回想され、そこには「日本人女に負けない」と日本への抵抗があったと推測する記録もある。そこにエイジェンシーがあろう。
慰安婦としてのストレスをぶつける場として特別な男「スーちゃん」を見いだすのも彼女たちなりのエイジェンシーである。

第5章 セックスというコンタクト・ゾーン
占領期の日本で、占領帝国との圧倒的非対称関係の中で占領軍人との性関係を結んで支配下で生き延びた「パンパン」としての女性たちは、娼婦差別と「敵国に寝返った女」差別の二重苦を浴びた。
占領兵から占領地女性へのレイプは日常茶飯事であり、女性が道行く人に助けを求めても無視される権力非対称が見られる。
レイプしてきた兵に金銭を要求した女性も、レイプした女性に金銭を渡した兵もいた。レイプから買春にすり替えを図るためか。金銭授受があったからといってそれは金を払って行われるレイプにすぎないが、「モデル被害者」ではないために語られづらかった。
強姦なのか売春なのか恋愛なのか本人も判別のつかない「性暴力連続体」の中を「パンパン」としての女性は生きた。
レイプ被害後に加害兵のオンリーとなって金銭を引き出しつづけて日銭にした者も、結婚して渡航した者もいた。どちらも差別を受けた。

第6章 語りだした性暴力被害者
終戦後の満洲関東軍の助けを期待したが早々に撤退し取り残された黒川開拓団。
日本敗戦により、奪われた恨み晴らさでかと現地住民の暴動が開拓団を襲い、ソ連軍に鎮圧を要請するが、取引の要件として性接待を要求される。
来民開拓団300名弱の集団自決の報せが届いていたため「取引」か死かの選択を迫られ、未婚十八歳以上の女性がつけを支払わされた。
二ヶ月に及ぶ性接待で性病にかかり七名が死亡。銃を抱えたままのソ連兵に性交される。
大和撫子として純潔を守れ」と教育されてきた彼女らにとって、純潔を守って死なず「汚れ」て生き延びたスティグマによって沈黙した。1991年韓国での告発によってようやく少しずつ語り始めた。

拒絶する女を宥めすかしてソ連軍に差し出した男たちは戦後自分たちの恥や女たちの名誉を守るためこれらの事実をタブー視したが、「うら若き女性の一片の私利私欲もない、同胞の安全をねがう赤城の挺身」による「蔭の力を忘れてはならない」と回想する。
性接待の実態には触れず、挺身・献身・協力とあたかも女たちの自発的選択で共同体に従属者として奉仕したかのように陶酔し、これらの「犠牲」があったから黒川開拓団は生き延びられたと因果関係をひもづける。

しかし事実に鑑みると戦中現地住民とこじれがなければ暴動で命まで奪われた可能性は低い。駅が近いためソ連軍の駐屯地とも重なり交渉できたし、来民と比べて逃げるのも容易だった。

第7章 中絶
敗戦後の混乱期満洲や釜山から引揚げの際にソ連兵からレイプされたり、性接待させられたりした女性の妊娠被害に対し、堕胎罪について超法規してまで秘密裏に政府が迅速に中絶に対応した。自共同体の従属物を異民族に奪われる屈辱と、異民族の汚れた血を残さぬために。
薬がないため麻酔なし。堕胎罪により中絶手術未経験医師多かったと推測される。成功すれば晴れ晴れと退院していく者。「悔しい」と呟きながら息を引き取る者。
この引揚げ女性らの性被害の惨状を目の当たりにした、(戦後女性参政権獲得により国政に加わった)女性議員の手で中絶の自由を広げた。
差別的優生保護法の中絶要件に強姦があるのはこの成果である。が中絶に携わった医師らの尽力も大きい。

第8章 ナチ・ドイツの性暴力はいかに不可視化されたか
強制収容所での売春宿での労働は「自発的志願」であったという偏見の目を向けられた。
たとえ「六か月従事すれば収容所を出られる」と欺かれていても。本当のところはどうであれ収容前にも性労働に従事していたはずだろうと。それならば「自発的志願」するだろうと。「自発的志願」する売春婦は蔑みの対象となった。
囚人たちは政治囚、刑事囚、反社会的分子、ユダヤ人に振り分けられ、政治囚は他の囚人を戦後も差別視した。
政治囚として赤の印をつけた女性も「たまたま男が外国人だっただけなのに自慢げに印をつけて」と言われ、性労働を終えたら反社会分子の黒印をつけられた人もいた。
男性政治囚は売春宿をそれなりに利用していたにもかかわらず戦後否認した。

政治囚としての非ドイツ人(ポーランド人など)女性も「ナチ体制の犠牲者」として扱われたが、売春施設にいたと知られると「ナチの協力者として政治囚を堕落させようとした」と見なされ汚名を着せられた。

第11章 戦争と性暴力
「戦争兵器としてのレイプ」は戦時において虐殺手段として用いられるレイプという概念。
「敵国」が加害者で「自国」が被害者と固定され、敵が自集団の安全保障を脅かすがために威力を持つ。
この中で内集団から内集団民へのレイプは不可視化され、安全保障上の危機ではない「日常の」レイプはさして重大と扱われなくなる。

戦時性関係の語りの正統性は、その社会の共有する物語によって正反対に序列化する。「被害を名乗る正統性がない」と見なされた語りはスティグマ化され、あるいは個別化されて「被害」から排除される。

性的関係はそのエイジェンシーの度合いによってグラデーションが見られる。レイプより売春が、売春より恋愛がエイジェンシーの関与度が大きいとされる。
「受難物語」においてはエイジェンシーがないと見なされるほど、「英雄物語」においてはエイジェンシーがあると見なされるほど語りの正統性を得ることができる。
前者では「敵による強姦」が共同体の犠牲者意識ナショナリズムにくべる崇高な歴史的地位を付与されるが、逆に「レイプ後の金銭要求/売春の身受け」などが自集団を裏切ったとスティグマを負う。
後者ではそれらが性暴力とは程遠い性関係である証拠として機能し、逆に「敵による強姦」は家父長制集団にとって抵抗のすべなき屈辱となる。