真昼の淡い微熱

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男がつらい! 資本主義社会の「弱者男性」論/杉田俊介

杉田さん……。
時期的に間に合ったか、間に合ってないかどうかと思って読んでたけど、最終ゲラ確認のときだったか。あの襲撃事件は。

ジョーカーの話は山上に言及された記事を収録したものなのか?
非モテの品格』も『マジョリティ男性にとってまっとうさとはなにか』も既読。

やっぱりあれを思いながら読むことになると、どうしても杉田さんの言葉では山上を止めることはできないと思ってしまう。
そりゃ言葉で殺人が止まるなら世話ないのだが。
そうじゃなく。

本書は孤独を推奨する。
しょうもなくつまらない人生を凌ぐ孤独に尊厳を見る。
これもまた新たな形というか、反動というか。

「弱音を吐けない支配者」像を過ぎ、ネオリベラルな「自立したスマートなリベラル男性」像を経て、3~5年くらい前から「相互に弱音を吐きあう同性間ケア」像が称揚されてきた。
本書はそれの反動もしくは3部作の補完として孤独を考えたのだと思うが、あの事件のあとに本書だけで見るとうーんと思う。

恨みは、簡単には「インセルレフト」的転回をしないだろう。
恨みは、簡単には怒りにならない。

存分に恨みきれる環境と、やっぱり他者が必要ではないか。
少なくとも急ぎ足に孤独に走ってはいけないのではないか。

いや、孤独は必要だよ。
存分に恨みきるのにも孤独が必要。
孤独、他者(専門家/コモンズ)、そして孤独のサンドイッチがあるならわかる、あってほしい。
恨みを怒りに換えるには。

本書だけ読むと社会の被害者としての「弱者男性」にさらに辛苦を強いるように見えてしまう。
助かる希望もない世界に活路を見出そうとしているのは理解する。が、それでも、そうして耐え忍びて耐えられるだけの水量で収まらない苦しみへの回答としては酷すぎると思う。

専門家とかグループとか友達、互助の方向は、けして眉唾の理想論などではない。もちろん希望だけでもないけど(共依存、相性、さらに傷つけ合う危険などあるからね)。

でも、このしょうもない人生で、ただ生きて死ぬだけの人生で、袖すり合う他者にすら希望を見いだせないなんてできないんじゃないの、と。
人間は社会を作る動物なのだから。

「恋人つくれば一発逆転」とか「相互ケアさえすれば万事解決」とかそういう眉唾話に寄りたくなかったのだろうとも思うけど。