真昼の淡い微熱

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おとぎ話みたい/監督、脚本:山戸結希

結果的に現実逃避のために見たけれども、現実と遊離するような「おとぎ話」、さすがの山戸監督だった。
在学中に作ったんだっけ??

大枠は少し期待はずれの感。
「女は同じ狂い方をする」と発言する監督だから、そして『5つ数えれば君の夢』で「少女」の解体をした監督だからそれを期待してたけど、描かれた「少女」は元来の「少女」であった。
しかしこれが洗練されたものが『5つ数えれば君の夢』だと考えればまた一興。一度でそんな考察できるほどの能はないし2週間限定レイトショーって二度も見れないよ!

冒頭から文学的な台詞炸裂!
「悲しみよ」で振り向く、その冒頭シーンにドキッとして、ラストに卒業式だと判明し、それが先生のための振り返りであったと繋がる、ゾクッとした。

“見せない”演出、手を変え品を変え魅せてきて凄い迫力。
特に夜の告白シーンやばい。
先生は、手の甲のみ。本音を隠して怯える。
逆に、全身映るけれども輪郭しか見えないシホは、本音剥き出し。抽象化された存在になってこそ露になる。私のこと好きなんでしょってぶつけてしまえる少女の自意識。
脚だけ照らし出されるのもな!
抽象化っていうか、肉体抽出なんだわ。個を失い「女の脚」という記号に進んで成るんだ。
その肉体の卑しさを、疑うことなく受け入れているから。
5数はそこに疑念を抱くようになったのだから、それが“外部に触れる”ということなのかもしれない。
同じ机(=土俵)に登って初めて先生の顔が現れるのに、何でシホは逃げたんだ。あーそのときの会話忘れたわ。やっぱもっかい見たいかも……。でも無理だ。立場逆転の決裂が、何故起こった?

(追記。
顔が現れたとき、本音を剥き出しにすべきはずだったのに隠したままだったからシホは呆れて逃げた、のか。)


自販機ライトって! 面白いな!
趣里さんの横顔の上睫毛と下睫毛の間、めっちゃ好き。ていうかフェチかってくらい執拗に撮ってたな。

「あなたのために踊ります」ときて、『5数』でエリーゼのために、暴くのだろうか。手越女子と同じ屋上。まー、その作品はそれだけで考えるべきなのかもしれないけど。
でもどっちもダンスシーンが素晴らしいなあ……。
悲しみを、やるせなさを、燻りを、愛を、自意識を、爆発させる。泣きそうになった。
てかひーちゃんが再現するように踊ってくれたイベントあったなんて知らなかったよ……どっちにしろ行けなかったけどその日も新宿にいたよ……。

「謝罪は自分が許されるためのものだよ。もはや俺には関係ない」
の、衝撃。この尖鋭的な台詞を。
そして許されるために先生は何度も謝るわけだ。

エンドロール後……。
おとぎ話みたいだったのにおとぎ話になってしまったんだよ……こええ。
一カットごと一場面ごとに戯画化され、ついにはおとぎ話になってしまいましたって、何それ。いいのよね、そういう解釈で?
先生はこれからこれを抱えてこじらせていかねばならんのかよ……。

ずっと「おとぎ話」の歌が流れ続けていたわけだが、話追って読み込んで解釈してる時に更に歌詞なんか聴き取ってられないよね、聴き取ってたら繋がるとこあるシーンがあったら残念だなあ。さすがに最後はわかるけど。
カラオケのところも良かった。