真昼の淡い微熱

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一九八四年/ジョージ・オーウェル/高橋和久訳

はー……。
なるほどそりゃあらゆるところで引用されまくるわけだわ。
今でも尚褪せぬ普遍性。
怖いもの。うわあ安倍だとか思える、現実を転写しうるディストピアの片鱗が怖い。
ディストピアものは現行社会批判を内包しているものですけど世界中いつでもどこでも当てはめられるのが文学として優位たれるのは真実ですね……。
唯一、唯一「テレビによって民の意見を画一化できる」っていうのが古いなあと。
多様性を促進したというのかネットは。ネットなんかなかった1949年刊行。

二重思考」という捉え方はすごいなあ。「認知的不協和」よりわかりやすくキャッチーで正確。
人はそうして脳内をやりくりしているのだ……。

普遍性というのはもうひとつ、これめっちゃオウムだ……。
全体主義独裁の再現……。
そのわりにオウム関連書籍でこれが引用されてるの一度しか見たことないけど。
情報統制、二重思考、記憶操作、絶対帰依。
党(グル)がすべて正しくて民(サマナ)は自我を破壊してそこに党(グル)の考えを注ぎ党(グル)の化身とならなくてはならない、とか。
そんなの現実ほとんど無理だったわけで……でも二重思考でなんとか耐えてきた信者たちはいたわけで……。
ニューナルコとかお粗末すぎるけど理念としてはこれなのかって。



しかし正直話そのものを楽しめたかというと微妙。
ジュリアを裏切らないことこそ自我の砦でそれが最後に崩れた、って流れはわかるけど、は、はあジュリアそんなに大事な……いやうんそっか……構造的には充分すぎるほどわかるけど実際の心理がわかんねえぞ……。
自我を守るためにこそジュリアを利用し「この線さえ越えなければ自分は自分でいられる」としているのだと理解すればまだなんとかなる。
けど「理解する」だけじゃ感情移入できない。あの二人の再会の倦怠感も、そうですか……と。能力低いのかなあ。

いやうん、ジュリアの、体制に批判的でありながら現状追認してその中で上手く立ち回ろうみたいなキャラクター性は、いるいるこういう奴って配置で感嘆。

サイコなオブライエンは面白かった。
言葉巧みにウィンストンを陥れていくマッド感。
二重思考の最高の体現者であると。

現実は身体の外ではなく脳内にあるってSF設定を設定としてではなく価値観として揺らがせたのも面白かった。
過去は可変。