真昼の淡い微熱

感想ブログ

映像の原則/富野由悠季

アニメ演出の読み方を理解しようという目的で読んだ。
勉強になったけど忘れそうなことメモ、自分基準なので要約ではない。


とりあえずイマジナリィラインて本当によくわからん……。
とりあえず上手側にいた人と下手側にいた人を演出的意味もなく入れ換えて映してはいけない、んだよね?
結構崩してる作品多くないか?って思うのは気のせい??
あれかな、同一カットでカメラの位置を変えてるやつを思い浮かべてるのかな、これはありなんだよね。

人物の目線もイマジナリィラインをつくる。
目線の方向性に感情が乗る(上手下手、相手を見るかどうか)。


速度感の統一。
例えば走ってる人を描くとき、ロングでは遅く、アップでは速くなってしまう。それをどう統一して魅せるか。
また速度の違うものを映すとき、それぞれの動きの一連を統一させる。
手前に何か横切れば「速い」という意図が伝わる。

物理的な速度よりも感情表現としての速度を優先させる場合もある。それは臨機応変
一連の速度を統一させればいいというものでもない。

発展性が物語。
ダンスシーンや戦闘シーンそのものは同質のものが続くので発展しない。

なるべく早くどういう場所(シーン)かわからせる。シーン紹介は必ずしもパン処理しなくていい、芝居で魅せる方法も。

向かい合わせは別のもの。

俯瞰は客観なので感情移入が必要なときは多用しない。

同一方向にまとめたフィルムより、逆方向のカットを繋いだフィルムのほうが流し見できないので体感時間が長い。

右端に被写体を置く、すると左端に埋まる期待、予測を喚起する。
次のカットで別の被写体を同じ所に置くと連続性。左端に置くと視覚的安定。発展性、物語。

カメラは客観か主観か。
扉の向こうに未知のものがあるかもしれないとき、向こう側にカメラをおいてはいけない。
緊張感がなくなる。「何もなさそう」という情報を与えてしまう。
そういう言外の情報意識。


パーソナルなフィルム
人物を描くだけで世界観が理解できる

広いフィルム
人物以外のものを映して世界観への理解を促す

回想シーンは以前のそのシーンのカットを流用してよいわけではない、主観的な描写を再構成する必要がある場合も。

前のカットから次のカットで観客が視点をどこに持っていくか計算。観客の視線は動きを追っているので、その先に被写体を置くようにする。
フレームイン、フレームアウトのタイミング。
被写体がセンターにくるまでの「間」をどう編集するか。

「独立してしまうカット」の意味がよく取れず。
前後の流れに乗らず独立してしまうカット。
とりあえず決めポーズから始まるのではなく前のカットを受けたつづきを描く「つながり感」が大事と。

シナリオ。「ともかく……」という接続詞を使わない。
会話には物語的論理があるので繋がらないセンテンスを繋げない(基本的に)。