真昼の淡い微熱

感想ブログ

少女☆歌劇 レヴュースタァライト

はい負けました!
えーん!
まだまだ新鮮なきらめきを持つのだよ、「女の子が女の子を愛するということ」の神話は。

求めて、求めて、たとえ困難な道でも光を信じて女の子を求めすがる女の子の姿。
たとえすべての物語が語り尽くされようとも渇望の再演はぜんぜん足りない。もっともっともっとちょうだい。
女の子よ女の子を求めて。私にその星を観劇させて。

癒される。失った私の心が癒されていく。女の子が女の子を愛するということの神話でしか救えない。
なぜいま百合を描いただけで喜ばれるかわかりますか?
観客が望んでいるからに決まってるだろ!!わかります!!!
飢えてるんだよまだまだ足りないんだよ語り尽くされてないんだよ女が女を求める物語はよ!!
古来どこにでも現れる男女の物語。BL・少年愛登場以前からずっと紡がれてきた男と男の物語。比較するまでもない。


過去の作品から少しずつ変わったところの最大の証は間違いなくキリンでしょうね。
物語に干渉しない他者としての男性表象はそれこそ『ユリ熊嵐』でもあった。
あの熊は無意味にさえ思われるカットで女熊同士の保健室いちゃらぶを遠目から欲望丸出しで「観察」していた。
やがて君になる』の槙くんも。まんまキリンの相似ですね。
このキリンは最終話でそれを極限まで高めたと言っていい。
津田健次郎がすげえという話だ。


さっき「スタァライトの舞台はウテナの社会的役割メタファーのような強固な壁を描いておらず切迫感がない」みたいな批判を読んだけどこれは批判として隙がある。
「男がどうしても女と女を支配してくる」世界からの脱却をウテナが描いたからこそ、スタァライトの「男は存在してさえ百合に関わらない」コンセンサスまで辿り着いたのだから。
(それなのに今の世の中においてさえウテナが古いとは言い切れないのが悲しい話はさておき。)
他者が他者のまま据え置かれる安心感をこそ本作は描いている。それにしても他者としての男性表象は動物に変換されやすいというのは毒気抜きなのか……。(『ピンク・ラッシュ』とかも)



というわけで百合系譜としてはもうたまらなく最高でしたよと。

しかしその上でトータルこのアニメ好きではない。
初めからわかりきっている結末、予定調和。
それだけなら別にいい。予定調和だって演出次第でいくらでも盛り上がるし、実際その点では成功していると思う。
でもだからこそ、キリンの興奮やばななの絶望に同調できない。
ふたりが「誰にも予測できない運命の舞台」とつぶやくと同時に、容易に予測しうる予定調和な結末がちらつく。
視聴者を巻き込んだメタフィクションをやっておきながら、ひかりの登場や華恋の飛び入りそして化学反応を「予想外」と置く。視聴者はそれさえも予定調和だと知っているのに。
なんというか、中途半端感。
「再演にも一回性のきらめきがある」というテーマは、舞台ならぴったりだろうけど、オリジナルアニメでやるにはちょっと無謀すぎたんじゃないのか。
やるんなら同じ筋書きで一から作り直すくらいの挑戦が見えなきゃ。アニメがまさしく舞台版の再演として機能している、という話にはできるかもしれないけど。
物語は予定調和から逃れられない。「必ず予想外に出会う物語」としてばななの「こんなの初めて」を聞いてもなんの感慨も湧かない。


……とかなんとか言ったけど結局私は純粋ヒーロー無神経主人公が嫌いなだけ説が多分にある。
まひるに依存されてるのがわかってるくせに丸無視、邪険にもしないがフォローも言えないなぜならひかりちゃんで頭がいっぱいだから、でもヒーローなので一言声かければまひるを救ってしまう──イライラする!
依存心が強いキャラに肩入れしてしまうのだ。
あとはお寒いギャグ的うすいエピソード挿話が嫌いなので序盤で全然入れ込めなかった。
まあそれらも為すすべなく最終話で負けましたよ、完敗です、ええ。

そんなわけでCPとして好きなのはふたかおですね。
えっ大好きじゃん……お互い……大好きすぎるじゃん……相手にふさわしくなるよう背負うきらめき……。