真昼の淡い微熱

感想ブログ

MIU404

みうみう!

面白かった。

1話 ワーオ評判通り面白いな、早速手続きとルールに則り正義を執行する現代訓話を説いている
2話 お、でしょうね、『リーガルハイ』の正反対。面白え~~~
3話 ちょっと失速?女の子攫う犯人の容姿がいかにも典型的で残念
4話 ぶっっっ…………刺さった………………




5話から先の感情が途切れる。


正直4話にあまりにも参りすぎて、ここでグンと期待が上がりすぎてしまった。
ここがピークでした、ものすごく私向けの、私好みの、回だったので。

たった一瞬のこのきらめきを。
あれほどに光るEDは他の回にない。

弱い女が、搾取される女が、打ちのめされて、それでも、現状肯定にプライドを賭けるのではなく、戦いに立ち上がる瞬間が。
何よりも好きすぎる。
というかこの手の感情がドラマで得られるとは思わず、もう少しだけ日本のエンタメに活路を見いだしてもいいのではないかと。

それでもな、思ったのよ。
風俗を「もう二度と戻りたくない場所」としてしか描けなかったことを。
手取り14万では風俗スタッフよりも経済的には弱い立場かもしれない。それでもスポットライトの当たらない、現役の風俗にまで、せめて少しでも手を伸ばしてほしかった。

と思ったけどまあ、ベトナム人技能実習生の子のステレオタイプ感よりはましだったという……。
この回意義深いことはわかるのだが「ステレオタイプ的」の一点でポリティカルコレクトではないよね、ってのは押さえておきたい。
純真で日本好きで(予告の「日本嫌い」がまさかのミスリード)片言の愛くるしいいい子。
意義深いことは確かだが。



しかしながら全体としてはどこをどう切り取っても「現代ドラマ」であり、正義とは何かを一本筋通して答えを出そうともがく、一周回って正統派な作品だった。
一周回って、が何よりのポイントなのだ。
最終回の全滅エンドが半周回った地点。そこからもう半周回って戻ってくる。

多少説明的すぎたりストレートすぎたりするのだが、前に「『獣になれない私たち』?で回りくどくしたら全然伝わらなかった」みたいなインタビュー読んだのでまあよしとしよう。
このくらいストレートにやって啓蒙できればいい。

半沢直樹』を暗に批判するような、「フィクションで巨悪を倒すだけじゃ現実に接続しない」野木亜紀子インタビューの言葉。
こないだ『リーガルハイ』を見たばかりなのでびしばし時代の変遷を感じる。

『リーガルハイ』はめげずに負けずに爽やかに努力すれば報われる!な世界観を「朝ドラ」と揶揄。
努力しても報われない時代。パイは減るばかりでずるいやつ・権力者が勝ち弱者は負け不均衡は是正されない理不尽な時代。
だから一回ひねくれる。
「正義なんてない、勝つのがすべて」な『リーガルハイ』。
しかしひねくれきってしまったあとの世界は結局悪くなるばかりでますます強者が既得権益を貪り弱者が搾取される――ことに危機感を覚える世界観を背景にするのが、『MIU404』だ。

半沢直樹』が正統派な勧善懲悪ならそれはおそらく「朝ドラ」と地続きで、報われない時代だからスカッとする話が求められたのかもしれないけど、同時に理不尽と不均衡を前に諦念し冷笑する層も広がっていった。


でそんな時代、職業倫理を鼻で吹き飛ばし捏造してでも勝てばいい、無敗の弁護士を誇るのが古美門。
正しさなんてなんの益にもならない。
一審を覆し無罪判決となった被告人が本当にやってないのかなんてどうでもいい。些末なこと。

それがかっこよかった時代は終わってしまった。
捏造、改竄、強行採決、民主的手続き無視。
世襲議員が特権貪って税金使い込んで平然と汚職する現代だから。
「捏造してでも勝てばいい」で得するのは既得権益者だけなのだ。けして勝てない平民以下には回ってこない。

だから「正しいことをルールに則ってする」を徹底して描いた。
それでもそのやり方では不利なのだとわかっているからこそ志摩のゆらぎ。刑事を辞めてでも久住を捕えるか。

最終回の落とし所はわりとなるほどと思って、「人殺しを容認する社会は自分も救われない社会である」という言葉にすれば陳腐な(子どもに言葉で説明しただけじゃ不服が残る)現象をエピソードで説明するから生まれる説得力ってのはあるなと。

『リーガルハイ』の1話と『MIU404』の2話が対照的なのだ。
殺人を犯したと警察に容疑をかけられる/起訴される男。

『リーガルハイ』は「一旦起訴され(常識のもとに曝される)、しかし実はやっておらず(常識を疑う)正義の美名で証言を作り出し勝訴(捏造してでも勝てばいい)、

……ここまで書いて結局改めてブログかきました。




あとこれは『リーガルハイ』に目をつぶっていたことだけど、なかなか偏見がひどかったよねえ。
「ストーカー男を訴えた女が実は男に好意を感じており、婚約者の手前訴えたにすぎない」
「露出狂を訴えたクリスチャンのおばさんだが実はエッチなものはいけません教に反して男の裸体に興味があり自ら見に行っていた」
「痴漢はされるほうにも誘うような服装をしており問題がある」

おいおい。
なぜこうなるかというと常識の逆張りで話作りをしているから。
でも肝心の「常識」の考察が足りず、「ストーカーは犯罪だ」が常識(法律)になったのは放映日からほんの10年ちょっと前だとか、ストーカーや公然猥褻や痴漢がれっきとした加害行為であるという命題は未だかつて常識といえるほどには定着していない、モテ自慢とかその程度で済んでよかったねと捉えられるとか、基準があいまい。

『MIU404』は正義に基準を置いてるからいちおうすっきりはする。(前述のとおり外国人への偏見はある)
「家出するなら福祉を頼って」は真っ当すぎて笑っちゃったもんね。
でも現状福祉やNPOを頼るハードルが高いのは宣伝不足が相当あるからなので、ドラマが広告を担う必要が多分にある。