真昼の淡い微熱

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加害者と被害者の"トラウマ" PTSD理論は正しいか/笠原敏雄

まずPTSDをごく狭い範囲で扱っているのではないかという点、PTSD理論(トラウマになる出来事が起きたら必ず異常症状が起こる)が万人に適用されるなんてPTSD論者も言っていないのではないかという点、直近で何かが発生したときに後づけ的に原因を求めているなんて理路はトラウマの時差攻撃を甘くみているのではという点、著者の言う「幸福否定」だけが被害者PTSD発症原因だなんてひどすぎるという点。
これらは疑問あるけど、意外と概ね掘り下げが面白かった。

・責任を突き付けられることの苦痛
第二次世界大戦で民間人の虐殺行為を行った日本兵は戦後もPTSDに苛まれなかったが、ベトナム戦争で同じ行為をしたアメリカ兵は苛まれた。理由は帰国後世間から責められたから。また、苛まれたアメリカ兵も白人より黒人のほうが多かった。
良心の呵責、罪悪感が生まれると人は苦しむ。
とっとと死刑にしてくれと願って願い通りになった宅間守。苦痛なる責任意識を回避するためなら死んでもいい。
服役囚のPTSD症状→裁判中が一番強く出て、刑確定後、服役中は責任から目を逸らすことができるから収まる。
ミルグラム実験詳細:責任から逃れられる人ほど残虐になれる。従う権威があれば残虐になれる。実行役を別人にするなら自分の責任が軽くなるので無抵抗だし、権威が席を外して自分に責任が降りてくれば抵抗が発生しやすい。

・被害者の主体性
ここはエイジェンシー概念挟まないと本当に容易に被害者に責任を迫る転倒が起こる。
死すら受け入れる服従。抵抗で虐待をやめる親に対する服従。責任を放棄できるメリットもあろうそれはもちろん。

最終的には自分の人生に責任を持つことでしか人は立ち直れないのだと思う。
加害者トラウマの章でまとめられた、「責任回避状態:偽りの安定、責任突き付けられる:鬱・苦痛・拘禁症状、責任完全に請け負う:幸福・安寧」は私も実感としてそうだと思う。
ただ、「責任を負う」に至るまでの道はひとつしかないと一般的に語られこの著書でもそのニュアンスを感じるが、私は常にふたつあると言っておきたい。
ひとつ、常識として流布しているのは「他責をやめて自分の責任を取る」。これで上手くいく人もいる。
ふたつ、「必要以上に負っている自己責任を返上して思う存分他責したあと、改めて自分の分の責任を取る」。もうこのブログでも何度か触れている話だ。