初っぱな『ミューズ』で殴られた。
いや、最初は、方向性がわかってから「登場人物に感情移入できないまま女の悲哀見るの厳しいな……8分てなかなか短い」と思っていた。
女の感情が浮いてしまう。
「ばかだとおもったでしょう」
「頭がいい人だとおもった」
なんというか、まあ、想定の域を越さない。
しかしラストに挿入されるふたりの笑いあうカット!
泣くとは思わなかった。
よ、よわい。失われた女の蜜月がきらめく瞬間、よわい。
あなたとわたしだけの。
そしてタイトルバック『muse』ガツンときました。
興奮もしていた。わくわくした。21世紀の女の子がはじまる。女の子たちのわたしたちのわたしたちだけの物語がいま始まる。
『ミューズ』を見ていて「どまんなかのアンチ『女の子を殺さないために』だ!!!!男の物語で若く美しいまま殺される女が語りを得た!!!各話共通するんだろうなアンチ『女の子を殺さないために』!!それでブログ書こうか!!」と先走った。
そうしたら、わたしだけの、一度きりの映画体験になってしまった。
最初は次の話『Mirror』の違和感。
「私が好きなのは女じゃなくて……あなたなの」
そんなJUNEみたいな……BLで散々批判されてきたやつだぞ……。
(いまちらとネット記事を見たけど、「女性監督と呼ばれる違和感を形にした」からその台詞になったのか……その延長線で女が好きな女を踏んでると……)
でも、これは女の感情の話だった。
女が女を求めて、その上で裏切りも愛憎もある話だった。
『恋愛乾燥剤』。
「あ、やっとヘテロきた、いいよ、ヘテロも。ありでしょう、恋愛への不適合さだし」と余裕ぶってたのもつかのま。
『I wanna be your cat』。
ん???? これはなに????
「セクシュアリティまたはジェンダーが揺らいだ瞬間」はいずこへ????
超~~~~~~~~ヘテロじゃん。
それでもまだなんか、山戸結希的な世界観を信じていた。
「投げっぱなしで落ちのない自己陶酔的な作品が多いなあ8分縛り厳しいな」と思っていたから『愛はどこにも消えない』のストレートさも響いた。
しかし急激に冷める。
その違和感のピーク、『セフレとセックスレス』。
なんっっっのひねりもねえドヘテロファンタジー……。
「最初はイキまくってた」からの「先月彼女と別れた」からの「彼女がいると思ったから感じなくなってたの」……。
「ずるいよ」、ドン引き。なにしろ役者さんもうまいので。
はっきりわかった。
ああ、私が履き違えてた。女の地獄を芯から感じとってる女たちの映画では、ない。
ヘテロ神話に異を唱える女たちの映画でもない。
異性愛者の女は男を求めてるんだ。
人のいない映画館(を選んだの)で、真うしろの席で女性が泣いていた。
まじで?泣くの?『恋愛乾燥剤』であんなに繰り返しカリカチュアされたヘテロ恋愛神話を冷めた目で見ない女も同じ映画を見てるのか。
そうか。
『粘膜』、女ふたりでセックスすればいいじゃん、でもそういう話じゃないんでしょう。
そうか。
いや。
満足ではある。
突出して興奮したのは『ミューズ』だけだけど平均値は超高いし、最後に山戸作品が来るのならば、おおむね満足できる。
でも、ヘテロファンタジーが、あるのだなあ。
と思ってたらきっちり最後に『離ればなれの花々へ』かっさらっていきましたね。
孤独!!!!
そうだ。そうだった。私は孤独だった。私たちは離ればなれになるのだった。
上映終わってからやっと理解した。
共通するテーマは「孤独」なのだ。
ジェンダーやセクシュアリティがゆらいだ瞬間、私たちが女としてゆらぐ瞬間、それはいつだって孤独なのだ。
してやられた。
『ミューズ』、私を掬ってくれる映画だった。
私を理解してくれる映画だった。だからあなたとわかりあえると思ってしまった。
でも早々にそうではないと言われた。
女を欲望する性欲すら男性表象に仮託しないと表出できない女(『君のシーツ』)だって出てきた。
ああ、それでも『愛はどこにも消えない』みたいな、ヘテロであっても普遍的な私も共感できる感情でつながれる。
しかしその瞬間裏切られる。
すなわち、孤独だ。
人とかかわるほどに孤独になる。まさにそういう、つながりあえない女の、わかりあえない女の、一瞬だけつながれたと思ったら瞬く間に幻想だと悟ってしまう私たちという孤独の映画だった。
そんななかで唯一孤独が解消される欺瞞を『セフレとセックスレス』がやっていたから嫌悪感があったのか。
……しかし、裏を返せばこれも、非常に願望あふれるというか、いやそんなうまくいかんだろというファンタジーだからこそ、どこかの女の子の孤独を救うのだろう。
あまりセックスが出てくるタイプの少女漫画を読まないのでそのへんはわからないけど私の感覚ではBLでよく見るな……という感じ。
それを統括する山戸結希よ。。。
山戸作品でさえ、「母と彼が愛した形としての娘」価値観に、すこしひやっとするのだから。
一回こっきりの映画体験でした。
こればかりは今回の上映順で見てよかった。
さてさて各話感想。順番覚えてないよ。
『ミューズ』
あまりにもわかる!!
さっき言ったとおりアンチ『女の子を殺さないために』だ。
女の子が死ぬ。ただ、死ぬ。
若く美しいまま人間になってほしくないわがままで殺された女たちの。
『Mirror』
カメラマンつづき。
ファインダー。山戸監督の言葉を思い出す。
「鏡を持つ手がカメラに変わった」女の子。
登場人物がみんな女なことに安心する。
キスと、シャッター。わかりあえない瞬間。作品になってしまう。
ここで終わるのか、まあ、うん。
『out of fashion』
先輩がいささか戯画的。
創作することの話。孤独になっていく、慣れていく。
この主人公の子すごいモデル映えする顔!!当て書きか!?
『回転』
前三作がモノローグつづきで、山戸みというか文学かぶれみたいなテイストだったのでこのキャッチーな画面づくりは新鮮でおもしろく感じる。
女たちが中華テーブルをかこって回転する少女。
男にさらされる女の。女たちのいやらしさの。
少女につらなる女の歴史とかいう感じか?
消化不良!
『恋愛乾燥剤』
もう、カリカチュア! カリカチュア! 三昧!
画面はおもしろい。
けどキャラクターがステレオタイプ的。金髪サブカル男とか不細工ご近所とか。
特にそうである必要性はないけど薬局に寄るきっかけとして生理を使うか~~。
水に色を落とす画面はやはりおもしろいが。
乾燥、自分ばかりして相手はできない話なのか。
『I wanna be your cat』
まじでよくわからなかった。ひたすらふたりの演技うまいなというだけ。
男を求めるが男に拒絶される話、たのしいか?
『projection』
伊藤沙莉さん見るたび美しくなってる!
なんか、わかるような、わからないような。
さみしくて孤独な女たちが奥底で分かち合えるような映画??
『愛はどこにも消えない』
おおお、編集もうまい。
テーマが見える、たとえ男を求めていてもこの失恋の心象風景を切り取れるのはすごい。
これは『ミューズ』『離ればなれの花々へ』以外で唯一泣いた。私の恋も、愛も、消えてない。すべての失恋し女の子へ捧ぐ。
『君のシーツ』
セックスだ……。
ど、どっち……??
結局ヘテロに終始する話か? 女を求める話か?
……女を求める話だった……。
しかしまあ男に仮託するなよ、が結局の感想。
『セフレとセックス』
前述したとおり。
ふたりの独特な空気感はこの短いなかでよく出せてた。
ペディキュアぬりぬりとか。
『珊瑚樹』
あー、そうそう。これ。
こういうのみたかった。
こういうのみれると思って来た。
女が女を求めるだけでない。女を求めるから、愛した「女」は「女」を拒む。
「はるといると自分が女の子になったみたい」。
キスしたか~。
『reborn』
やりたいことはわからんではない。私の孤独は埋まらない。人と人はわかりあえない。わかると言ったそばからこぼれていく。
でも魅せ方描き方が淡々としててつまらないな。
上埜すみれさんだ!と思ったら、『あの娘が海辺で踊ってる』の助監督さんだったのね。
『粘膜』
あー、ふつうにセックスする女ね。
でもいまとなっては別に新鮮というほどではなく。
まじそんな男とセックスできなくて干からびるくらいなら女としろよ感。
『離ればなれの花々へ』
なに?これ言うことあるか??
2時間座ってた甲斐があった。
鬼気迫る過激派。
世界の革命者。けして楽観主義ではない。
私が世界を変えてやる。女の子のための映画を量産してやる。
あまりにもストレートな独白。
宣言だ。世界に受けて立つ。その証明としての今回の企画。やっばい、としか言いようがない。
でも今回思った。
山戸映画が普遍性を獲得してるのは山戸映画だからだ。「わたしにも同じ地獄がある」と多くのひとに思わせる力が卓越している。これは山戸結希にしかできない、できなかった。
ほんとうに、あとにつづいてほしい。半分の映画が女の口からでますよう。