真昼の淡い微熱

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違国日記11巻/ヤマシタトモコ

だ!か!ら!さあ!!!
言えよ!愛してるって!!!いえよおまえにはその義務があるはずだ朝というさみしい子どもを引き受けさらには愛してしまったからにはそれを素直に伝えるべきだなんのための「それでも」「それでも」だよ逃げてんじゃねえ予防線を張るんじゃねえ勇気を振り絞って自分から足を動かせソファに座ってないで身を投げてくれるのを待つんじゃなくてお前からダイブしろほんと腹立つ!!

切々たるこの空気をつくりあげる上手さ、感情が真に迫るからこそこんなに無性に泣けてしまうのにどこまでも槙生ちゃんを赦免するこの作品というものが柔らかい欺瞞をついぞ崩さなくて憎たらしい。

なんにも「それでも」などではなかった。
ていうか、まだ続くならわかる。
ようやく槙生ちゃんがその心の内を現し、以後どうしようもなく変化せざるをえなくなり、朝と距離を保てなくなって愛をぶちまけその期間を経て「適切な距離」とやらを測れるようになるまで描き切るなら。
いや、そこまでじゃなくていい、逃げずに「愛してる」と自ら口に出せるようになるまでを描いてくれるなら、違国が交わった意義もあろう。

なんだよ最後のポエムはよ。
朝は母親の愛の日記に満足したか?
母親の愛してるじゃ足りないくらいの言葉の羅列に納得したのか?
してないだろう。
どこまでもお前はビビリで自己防衛で朝の孤独に向き合うことよりお前の世界が崩れることを怖がってる臆病者なんだよ。
いいよなネットのコラムに流しておけば朝に向き合わずに自分の世界を崩さずにあわよくば読んでもらって愛を放流することができる。

生命保険に傷ついた朝に何も言わないの、本当に情けない。
情けない人としては描かれていると思う、けど、朝は弁護士に対しては「うける」で、槙生に対してはクッション投げて抱き着いて即座に許してしまう。
本当に都合がいい。槙生ちゃんの情けなさは深刻な影響をもたらすことなく朝の内に丸め込まれる。
「ぶつかっても修復できると思うのは社交的な人の考えですよ」という予防線で槙生ちゃんの臆病さはただただ許される。
「それでも」と言葉で言うくせに子どもに許してもらうばかり歩み寄ってもらうばかりで行為をしない違国交流になんの教訓があるのだろう。

ノローグでは本当に伝わる。
槙生ちゃんがどれだけ朝を愛しているか。だから泣けてしまう。
大切に思ってもいいよ。
それをちゃんと伝えようとする意志を持つまでになってほしかった。
まだ槙生ちゃんも戸惑っているんだと思う。からこそこんな中途半端なところで終わってほしくなかった。
奥ゆかしく秘めるのではなく自ら与えようとする行為こそが愛だろう。
行為しないことを免罪し、最後まで言ってることとやってることがちぐはぐな欺瞞だらけの作品になったのが心底残念だった。